続「フィクションの季節は終わった」:ベンサム功利主義における美学の影

 前回は「関心 interest」変容の思想史(それは18世紀における美学の誕生前夜の思想的コンテクストであった)を概観した。

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 この思想史の後半にベンサムは登場したと言える。それを踏まえてみると、ベンサムにおける interest 概念は、人々の行動の原動力としての基礎的事実を示すものであり、主体ないし当事者の側に内在する原則であったとしてもなんら真新しさはない。しかし、ベンサム interest をもっぱら行為者の側の内在原理であるとし、そしてまた、この interest に相即する対象の側の概念を「功利性 utility」であると定めるとき、ベンサムはこの思想史から一歩踏み出すのである。そこで再度ベンサムに戻ろう。

功利性とは、どんな対象のうちにもある性質(property in any object)であって、 それによってその対象が、その利益が考慮されている当事者に、利益、便宜、快楽、 善、または幸福[...]を生み出し、または、[]危害、苦痛、害悪または不幸が起こることを防止する傾向をもつものを意味する。(Bentham, IPML, p. 2 /『序説』83 頁)

「功利性 utility」は対象の側に固有の「性質(所有物)property」である。とはいえ、この性質は――性質がすでにして関係性に基づく概念であるからこそ――それ自体で充足し実在するものではない。それはなんらかの存在者が関わることで現勢化する性質なのである。

 私たちが世界に関わってしまっている以上、つねに功利性の原理は作動している。ふだん、なに気なく通り過ぎる道に、私たちはなにか特定の「有用性 utility」を意識的であれ無意識的であれ知覚し、かつ行動している。ありふれた道路を歩いていて、「なんとも思わない」 としても、「なんの感慨もない」としても、さしあたってそれは苦痛ではなく危害を加えるものでもないのであれば、それだけですでに功利性の原理に適っていることになるのであ る。それどころか、歩行を可能にしている時点ですでに、その道路は歩行に益するものとして、私たちの行動を調整している。功利性の原理は、かように行動を規定するものとして作動しているのである。

 ひとは、「関心をかき立てる知覚」で世界と関わりながら、自らの利を増大させるべく行動している。ベンサムはそれを肯定し、そうした諸個人が群れている状態、それが共同体であると言う。曰く、「社会(community)とは、いわばその成員を構成すると考えられる個々の人々から形成される、擬制的な団体[fictious body]である」(Bentham,  IPML, p. 3 /『序説』83 頁。なお、community を「共同体」ではなく「社会」 と訳す理由については、後ほど述べる)。そしてこの意味においてこそ、「社会の利益(the interest of the community)」という言葉は意味をもつ。すなわち、「それは社会を構成している個々の成員の利益の総計[the sum of the interests of the several members who compose it]にほかならない」(Bentham, IPML, p. 3 /『序説』83 頁)。きわめて統計学的な見解である。 その統計的で、無味乾燥な数字の下には、当然のことながら諸個人の利害関心の衝突が火花を散らしている。だからこそ、ベンサムは理念をもって法を語り、道徳を語る。「社会を構成する個々人の幸福、すなわち彼らの快楽と安全が、立法者が考慮しなければならない目的、それも唯一の目的であること、それこそ各個人が立法者に依存しているかぎり、それに従って自分の行為を形成するようにさせられなければならない唯一の目的である」と彼は述べている(Bentham, IPML, p. 24 /『序説』108 頁)。 では、どのように諸個人の利害関心の衝突、あるいは個人的利害の暴走を食い止め、いかにして許容された方向へと「関心 interest」のベクトルを、ひいては「行動」のベクトル を矯正するのか。そして、その働きをどこに求めるのか。「社会を構成する個々人の幸福、すなわち彼らの快楽と安全」という理念を声高に叫び続けても、それは都市の喧騒に一役買うことでしかない。というのも、「なされなければならないことはさまざまであっても、人間がそのような行為をするようにさせられるのは、究極的にはただ苦痛と快楽によるのである」から(Bentham, IPML, p. 24 /『序説』109 頁)。

 「功利性」が諸価値の対立に介入し、優位を獲得するとしても、それだけで済むはずもない。諸価値を有用性に一元化したところで、むしろそれは有用性の多 極化を招くだけであり、場合によってはさらなる争いが巻き起こりうる。功利性の原理だけで、自発的に(自由に)調和が生まれるとはベンサムは考えてはいない(Bentham, IPML, p.5 /『序説』86頁。功利性の原理というのは、最大多数の最大幸福という理念とつきづきしいものなのか。ベンサムはそれをはじめから危惧しており、のちに「功利性の原理」を「最大幸福原理」と改めている)。そこで、功利性の原理と並び立つものとしてベンサムが概念化したのが、「規定力 sanction」という概念である。曰く、

快楽と苦痛とがそれから流れだすことがつねである源泉には、[......] 物理的、政治的、道徳的および宗教的源泉[がある]。そして、そのおのおのの源泉に属する快楽と苦痛とが、行為のなんらかの法則または基準に拘束力[a binding force]を与えることができるかぎり、それらはすべて規定力[sanction]と名づけることができる。(Bentham,  IPML, p. 24. /『序説』109頁)

「行為のなんらかの法則または基準」とは、ベンサムにおいて「功利性の原理」であり 「関心をかき立てる知覚」であることは先に見た。であるから、sanction とは「功利性の原理」に作用し、人々の「関心 interest」に働きかける外的作用のことである。『序説』においては「制裁」と訳され、研究者によっては「サンクション」とカタカナ表記されるこの概念は、行動を制限し規定する外的作用として論じられている(Bentham,  IPML, pp. 24-25 /『序説』109頁。ベンサムは次のように述べている。「サンクティオ sanctio は、ラテン語において、束縛することを意味していたものだった。あるいはまた、ふつうの文法上の変化によって、ある行動様式を守るように、ある人を束縛するに役立つものを意味していたのである。あるラテン語文法家によれば [...] 、血を意味するサンギス sanguis ということばがもとになっている。なぜなら、ローマ人のあいだでは、私が宗教的拘束力というもの(すなわち問題となっている行動様式を守らないならば、ある思考の存在の特定の介入によって、苦しめられるであろうということ)の力によって、一定の行動様式が人間に義務づけれられるということを人々に納得させるために、一定の儀式が僧侶によって工夫され、その儀式の中で犠牲の血が利用されたからである」)。

 だが、「制裁」というと、懲罰や罰則、禁止など、否定的ニュアンスのみが前面に出てきてしまう。たしかにそこには禁止の意もあるが、これは明示的であれ暗示的であれ、あるいは意識的であれ無意識的であれ、行動が成立する際に作用している枠組み形成をも含意している広義の概念で あり、ここでは(直前に語られている「拘束力 binding force」を念頭に置きつつ) 「規定力」と解釈しておきたい(sanction の訳語については以下の文献も参照した。西尾孝司も sanction の訳語として「制裁」は不適切であり、「あえて訳すとするならば「信賞必罰」が適役であろう」と述べている。cf. 西尾孝司『ベンサ ムの幸福論』、晃洋書房2005 年、25-26 頁)。ベンサムは、この意味での「規定力 sanction」を、物理的規定力、 政治的規定力、道徳的または大衆的規定力、宗教的規定力の四つに分類している。

 四つの「規定力」のうち、基礎にあたるのが物理的規定力である。真っ直ぐ歩いて行こうとしても、壁があれば立ち止まるか、方向を転じるほかない。ぶつかれば怪我をするだけである。あるいは、「拘束衣を恐れるのが観察されない狂人などほとんど存在しない」とも述べる(Bentham, IPML, p. 188. note. 1)。その壁を人間の意志の力で消去することは不可能であり、至高の存在が都合よく消し去ってくれることもない(それを信じている人はいたとしても)。端的に言えば物理的規定力とはかように作用している。続いて、狭い道でスピードを出して運転するのは危険である。では速度規制を設けたとしよう。しかし、そのように法に携わる者が意志しても、すべてを規制はできない。そこで法として明文化し、さらには道路に標識を立てなければなるまい。政治的ないし法的規定力は、物理的規定力を介さねば発動しえないのである。電車内で騒いではいけないはずである。「他の人の迷惑になるでしょ」と母親はしつける。「他人の目」たる「道徳的ないし大衆的規定力」はこうした具体的な躾によって内面化されうるのであり、やはり物理的規定力(この場合は母親の叱り)が基礎にある。また、ひとは洗礼を受け、信仰の「規定力」を受ける。誓う者は祭壇に手を触れ、司祭は洗礼の水をふりかける。祭壇と洗礼水という物理的記号を介することで、それは「洗礼」の場となり「誓い」が恣意的に破ることのできない負荷として意味のあるものとなる。しかし、それはこうした否定的なものだけではない。日々の生活でもしばしば見かけられるように、他人からの煽てや称賛が本人の その後の行動に少なからぬ影響を与える(道徳的規定力)。周囲の人の反応は肯定的にであ れ否定的にであれ、当人の行動に影響を与えるという指摘は経験的にも納得のいくところである。

 私たちの日々の行動は、こうした「規定力 sanction」の束に貫かれて実現される。言い換えれば、私たちは意識的であれ無意識的であれ、自らの周りに様々な「規定力 sanction を認め、それらを計算して行動を起こしている。それが繰り返されれば、習慣として内面化され、ある一定の閾を超えれば、自発的な行動として展開されてくる。きわめて内面的な、 あるいは内発的な「関心 interest」にまで作用し、それをある傾向へと矯正することも、こうした拘束力の作用によって可能となってくる。

 だが注意すべき点として、このことはベンサムが環境決定論者であることを意味してはいない。なぜなら、外的な出来事が、当人の精神構造に大きな変化をもたらすことはたしかにあるけれども、「それでもこのような変化を外部的な出来事だけのせいにすることはできない。同様に、すべてのことを生まれつきの性質のせいにしたり、または教育のせいにしたりする意見も、[......] 真実からはかけはなれている」、ともベンサムは述べているからだ。生来の性質と外的諸事情はそのままの形で表れてくることはなく、この二つはある種の「潜在的な基礎」を形成する。そこでは見分けがたく両者が混在している(Bentham, IPML, p. 57 /『序説』136頁)。この潜在的な基礎が、「関心 interest」の基盤あるいは「自己愛」の基盤である。この基礎が各人各様に出来上がり、十人十色の傾向性の基盤となる。その傾きは様々であるから、当然衝突も生ずるのである。その基盤は修正可能であり、各人の「関心 interest」を脱臼させ、理念へと向けかえることに拘束力は効果を発揮する。

 この思想の一つの帰結が、パノプティコンと彼が名づけた監獄構想であった。パノプティコンは、物理的拘束力を介した政治的拘束力の結集した装置である。1776 年、アメリカ独立宣言が発せられ、1783 年のパリ条約で戦争は終結し、イギリスはアメリカ合衆国の独立を認めた。これにより、それまで犯罪者の流刑地として機能していたニューイングランドが事実上、イギリスの支配下から離れることになった。その代替機能をアイルランドに預けていた当時に、ベンサムパノプティコンを世に問うたというわけだ(深貝保則・高島和哉・川名雄一郎・小畑俊太郎・板井広明「ジェレミーベンサム:その知的世界への 再アプローチ――フィリップ・スコフィールド『功利とデモクラシー』(2006)をめぐって」、『エコノミア』 58 巻第 2 号(2007 11 月)、26 頁)。彼が構想実現のために奔放したにもかかわらず、結局、政府は計画の実施を見送ったが。

 フーコーの読解(Michel Foucault, Surveiller et punir. Naissance de la prison, Paris, coll. < Bibliotheque des histoires >, 1975, part 3, ch. 3., pp. 197-229. 邦訳『監獄の誕生』、田村俶訳、新潮社、1977 年、第三部第三章、 198-228 頁)によって一躍有名になったこの監獄構想は、監視の効率を高め経費を節減し、同時に、囚人を不必要に苦しめることなく矯正できるようにするために、独房を円状に配置して中心に監視所を設けた監獄である((中村秀之はそのすぐれたベンヤミン論のなかで、パノプティコンをとりまく言説を分析し、ベンサム自身が構想したパノプティコンの原光景とフーコーによるパノプティコンの読解のあいだにある「亀裂」を鮮やかに描き出している。cf. 中村秀之『瓦礫の天使たち ベンヤミンから〈映画〉の見果てぬ夢へ』、せりか書房2010 年、56-82 頁))。もちろん、ここでの矯正とは、本論の文脈にしたがえば、囚人たちの「関心 interest」の矯正である。

 以上の議論から、ベンサムの道徳論の争点は「脱・関心 des - interest」、すなわち、人々の「関心 interest」をいかに「方向転換 divertissement」させ、理念へと向けかえるかに存している、とみなすことに無理はないだろう(※)。だが、デュボスにおいて「関心 interest の「方向転換 divertissement」が、虚構世界ひいては他者への「共感 sympathy」として現れている点に注目しよう。「関心 interest」と「共感 sympathy」の関係は「脱・関心 des - interest の美学」において中核をなしている。そして「共感 sympathy」という概念に焦点をずらしていくとき、ベンサムが論争的口調を強めていくのが見て取れる。次回はこの点に注目しながら、当時のイングランドにおける趣味論とベンサムの比較を試みていきたいと思う。

(※)ここまで本稿では「無関心」と言い、「脱・関心」と言ってきた。そこで一言つけ加えておきたい。とりわけ「無関心」という言葉は、否応なくカントのそれを想起させるけれども、カントの「無関心 uninteressiert」は形容詞としての用法であり、「否定・反対」の意味を持つ接頭辞 un - interessiert から成る interessiert は、desinteressiert(ドイツ語で表現した場合の「脱・関心」)とははっきり区別され る言葉である(「無関心 Uninteressiert」の用法はカント『判断力批判』において二度ほど観察される。cf. イマニュエル・カント『判断力批判(上)』(カント全集第 8 巻)、牧野英二訳、岩波書店1999 年、58および 65頁)。ベンサムにおいては少なくとも「無関心」が有意味であるとすればそれはおそらく「死」である。しかし、そもそもカントにおいて uninteressiert desinteressiert が使い分けられているわけではない。そのことも踏まえ、カントが「無関心」をどのような意味で用いているのか、そしてそのうえでベンサムの「脱・関心」の感性論とはどのような関係にあるのか、この問いは本論の議論をはるかに超える事柄であり、扱うことはできない。【了:6868字】