フィクションの季節は終わった:ベンサム功利主義における美学の影

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 まず、ジャン=ピエール・クレロを引用するところから話を始めよう。 

多くの哲学者たちは、バランスのとれた著作を執筆することに配慮しており、少なくとも18世紀以後は、一定の文量を美学に割いている。にもかかわらず、かくも大部分を快楽と苦痛とに割き、そこにあらゆる情念を還元しそうなほどのこの理論において強烈な印象を与えるもの、それはその名に値する美学の――彼の著作を全体として捉えるかぎりでの――ほとんどといっていいほどの不在である。[...]これは、 感情そして行動において、まったき無私無欲を認めない功利主義にとって、美の理論あるいは芸術論を生み出すことはできないという定めなのだろうか。(Jean-Pierre Cléro, Bentham : Philosophe de l'utilité, Ellipses Marketing, 2006, p. 7.

このクレロの問いかけに対し、彼自身の応答とは別に、当時の趣味論の文脈の延長線上にベンサムを位置づけることをもって応答すること。これが本稿の問題設定である。無私無欲、すなわち「無関心」が美学のテクニカル・タームとして生まれてきた18世紀において、いまであれば 「芸術作品」と呼びうるものに関する数々の批評や美学に、著作活動の一部が割かれていても、たしかにおかしくはない。ところが、ベンサムにはそうした文章が見当たらない。クレロが先のように指摘するのも、そういう意味ではもっともなのである。だがこのことは、ベンサムに「美学 aesthetics」が、いやむしろ「感性論 aesthetics」がないことを意味しない。あるいはこうも言える、美学がとりわけ「無関心の美学」を意味するのだとしたら、ベンサムのそれは「脱・関心の感性学」と呼ばれうる、と。いまとなっては誰が試みようとそのほとんどがフーコーの二番煎じにならざるをえないベンサムの「パノプティコン」や、彼の語る「法の劇場」という比喩にみられる構築主義的な側面は、ベンサムの思考を支配する視覚的欲望が生み出した建築物であったことはたしかであろう。けれど、なによりもまず、それは彼の道徳論であり行動論でもある「脱・関心の感性学」の結実であったと考えられる。

 一方で、ときは産業革命、すでにパリとならぶ大都市であったロンドンでは、社会を未来 へと推進する力学がその勢いを急速に増し始めるなか、建築史におけるゴシック・リヴァイヴァルが咲き誇る。伝統の改築か、新たな様式の創造か。過去と未来という、相反するベクトルに引き裂かれるなかで、その論争は繰り広げられた(土屋『怪物ベンサム』、90-91 頁)。建築の比喩で語られる法の文脈において、時代の感性に訴えかけ伝統を擁護せんとする側に、芸術と立法の利害の結託があることを喝破するベンサムの姿がそこにはある。政治の美学化、ないし立法の美学化に抗して、ベンサムはひたすらに両者を切り離さんとメスを握る。その矛先にあるのは、言葉であった。 ベンサムは言う、

君はなにをしようとしてきた、そのフィクションで。君が為そうとしてきたそのことを、フィクションを使わずともできたのか、それとも、使わなければできなかったのか。もしできなかったのならば、君のフィクションは邪な嘘だ。できたのならば、君が愚かなのだ。(C. K. Ogden, Bentham’s Theory of Fiction, p. 141

 

「関心 interest」のスペクトルを介して

 「自然は人類を苦痛と快楽という、二つの主権者の支配のもとにおいてきた」(Jeremy Bentham, An Introduction to the Principles of Moral and Legislation, Dover Publications, 2007, p. 1 /『道徳と立法の諸原理序説』(世界の名著 38)永井義雄訳、81頁。以後、IPMLおよび『序説』と略記)。これは、『序説』の第一章冒頭に語られる有名なテーゼである。ベンサムにとって、この事柄はこれ以上遡ることのできない基礎的なレベルで確認される事実であった。それゆえ、この事実を前提とすれば、人が「何をするであろうか(what we shall do)」、「何をして当然か(what we ought to do)」が必然的に導出される(Bentham, IPML, p. 1 /『序説』1頁)——邦訳では、「われわれが何をしなければならないか(what we ought to do)」とある。たしかに、“ought to” にはそうした「義務」の含意もある。だが事実と規範の 区別をめぐる「自然主義的誤謬」批判がベンサムに向けられてきたことも鑑み、「義務(規範)」だけでな く「当然」「適切」「推論(~するに決まっている)」のニュアンスも含めた方が、ベンサムの論理がわかりやすいのではないかと考えた。ある基礎的な事実を前提とすれば、その当然の帰結として以下のことが導かれる、という論理の組み立て方を念頭におく必要があるのである。そしてこの意味において、ベンサムにおいては事実と規範が地続きである(つまり事実と規範の両者を混同しているとする「自然主義的誤謬」 批判は的を逸している)、という解釈はできないだろうか。

 ともあれ、そうした疑いえない基礎的な事実である「快苦」について、ベンサムは「苦痛と快楽とは一つの一般的な言葉で、関心をかき立てる知覚[interesting perceptions]とも呼ばれうる」 としている(Bentham, IPML, p. 33 /『序説』116 頁。邦訳では「興・不興の知覚」と訳されている interesting perceptions だが、この interest がもつ思想史を鑑みて、ここではあえて原語を想起しやすい よう訳し換えた)。したがって、上述のテーゼは次のように再定式化される。すなわち、「自然は人類を、関心をかき立てる知覚の支配のもとにおいてきた」。私たちは、つねに、そしてすでに「関心 interest」を払ってこの地上世界に臨んでいる。いや、臨まざるをえない。 それは必然として想定されている。ゆえに、端的な「無関心」というのはありえず(Cléro, op. cit., p. 29)、そしてまた、「関心 interest」は、興味、利害関係、利益、私利私欲(self - interest)、利息をも含意する、きわめて地上的なものと言えよう。 

 かつて西洋の思想史は、interest を自己愛と密接に関連する問題含みの事柄として議論を繰り返してきた。否定的にしか捉えられてこなかった interest 概念が、その意義を転じ始 めるのが、17‐18 世紀を中心とした時代においてである。この点に関しては、佐々木健一『フランスを中心とする十八世紀美学史の研究――ウァトーからモーツァルトへ』、岩波書店1999 年での緻密な議論に多くを負っている。現代の私たちが、何かにつけ 「おもしろい」と語り、「あなたの興味関心は何ですか」と事あるごとに聞く、その際の中性的な(むしろ肯定的な)interest 概念が完成するのは、その時期の西洋においてなのだ。とりわけ、芸術作品受容に際して、近年「おもしろい」という言葉が頻出するようになっていることに対し、 独自の批判を展開したのはスーザン・ソンタグであった。「おもしろい」というコメントの奇妙さを知りたいならば、たとえば、「あの夕日、おもしろくない?」と言ってみようか、とは彼女の言である。そうしてみたときの居心地の悪さ、場違いな様が想像できるだろう、と(スーザン・ソンタグ「美についての議論」、『同じ時のなかで』木幡和枝訳、 NTT 出版、2009 年、38 頁)。以下、美学者の佐々木健一が明らかにした「関心 interest」の思想史を、ジャン=バティスト・ デュボスに焦点を合わせて要約しておきたい(佐々木『十八世紀美学史』、とりわけ序論および第一部第一章から第四章を参照)。

 近世の「関心 interest」概念には二つの源泉がある。一つは16世紀イタリアの政治論(国家論)であり、そこでは基本的に「利益」が意味されていた。これを「私欲」や「エゴイズム」の語義へと特殊化する力が、スペインの神秘的宗教思想からもたらされる。つまり、神への愛と対立し逆行する、地上的なものへの執着として、interest を理解する考え方である。「自己愛」の発動形態としての「関心 interest」、この新しい概念がヨーロッパ諸国に普及し、とりわけフランスにおいては17世紀の哲学や神学、さらには国家論における中心概念となっていった。そして、本質的に地上的な原理を表すに至った「関心 interest」を人間の本性と行動原理に据えたホッブズは、その意味で実に象徴的であり、それゆえに多くの批判を招き寄せることとなる。神学者ないし哲学者たち(たとえば、アイルランドスコットランドのモラル・センス学派、シャフツベリやハチスン)が私心のない道徳的行為の存在 を主張しようとするならば、「関心 interest」の否定、すなわち「無関心 desinterest」となるのは当然であった。

 だが、地上的な生そのものを肯定するとき、一方で宗教および神学が権威を失墜させて いくとき、interest につきまとっていた負の意味合いが中和され、人間のドラマを駆動させ る原理としての interest が析出され、「おもしろみ interest」が述語として確立してゆく。とくに、演劇論の文脈においては、ドラマの登場人物たちの interest の統一とドラマそれ自体の筋(action)の統一、さらにはドラマに対する鑑賞者の interest の相関が問題となる。鑑賞体験は、作品表層に戯れるものではなく、その表層を切り裂き深層へと達する能動的営為であり、真の傑作とはこのような活動(ひいては interest)を掻き立てる力を秘めたものとなる。この点を理論化したのがジャン=バティスト・デュボスであった(J. -B. デュボス『詩画論 I』(近代美学双書)、 木幡瑞枝訳、玉川大学出版会、1985 年を参照)。

 デュボスは芸術の存在根拠を問い、パスカルの「気晴らし divertissement」の概念を継承しつつ、「倦怠を避けること」をもってて応じる。そのうえ注目すべきことに、彼は、芸術に社会形成作用さえ認める。すなわち、個々人が歳を重ねるにつれ、「己への愛 amour de soi-même」が「際限なき自己愛 amour propre」となり、自己の「利害 intérêt」に執着し他人に厳しくなる。この状態を矯正するために自然が人間に与えたのが、模倣の虚構的対象に感動するという感受性であり、この感受性のおかげで他人と共に社会を形成して生きていくことができる。つまりデュボスは、「関心」すなわち「自己愛」の否定を無関心性にみるモラル・センス学派と異なり、地上の現実とは異なる作品の虚構世界に向けられてい る点に認めたのである。この「方向を転じた関心」という側面において(divertissement は字義として「方向転換」)、芸術だけでなく他者との交流にも議論が一般化されているの である。教育的、社会的観点から芸術を正当化する論理、その極致をこうしたデュボスの論理に認めることができる。

 次回はこうした思想史を踏まえたうえで、改めてベンサムのテクストを見返すことにしよう。