再掲)売るものがない自販機の前で
(※ 本稿は2021年6月時点のものです。再掲した理由なり経緯なりは省略しますが、一言だけ。売るものがない自販機はやはり撤去されてしまったこと、しかしあのときあそこに、たしかに売るものがない自販機があり、その傍らで煙草を吸ったことを、残しておきたかったから)
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夜半に降り出す雨の香りを呟いたらギリシア語はこの香りを「ペトリコール」と呼び「石のエッセンス」の意であることを教えてもらった。石路に落ちる雨から湧き立つ匂いに石の髄を感じとる感性がその言語体系に刻まれている。雨に石の髄を気づかせてもらえる。羨ましいと思う。あるいは、雨が降らないとふつう人は石のなんたるかを窺い知ることはできないのかもしれない。しっとり濡れた石の魅せる枯山水の庭のモノトーンが脳裏をよぎる。
目覚めれば雨がペトリコールも夢も雪いでしまっていてツイートを思わず見返した。冷蔵庫が低く唸っている。テーブルをみるとワインが飲みかけだった。ピスタチオの殻が隣に積もっている。
仕事の都合上、週に二、三度、通勤時間に二時間かけなければならない日がある。今日はその日。多くの乗客が目を閉じていて、私も普段ならそうなのだけれど、今日はちがう。呪術廻戦の最新刊をKindleで読む。呪霊全盛の平安の世を再びと言えばそれは一国主義的だと返す。戦後日本も一国主義的だったな、と思う。平和憲法、憲法9条を世界遺産に、というのもそうだし、革命やら改革やらを望む側もややもするとまずは民主化だということでナショナリズムを宿していた。少数のラディカルだけが、そのナショナリズムを批判していたはずだ。
出先での仕事を終えたのが1時過ぎ、喫茶店でビーフカレーを食べ、セーラームーンとジョジョが好きな猛者が二人居合わせるオフィスに戻る。次の企画に向けてネタをいくつか仕込む。子どもをダシに使って現代版パノプティコンを富裕層に売りつけ金を巻き上げるコノシゴトも実績がモノを言う。
8時ごろ上司が帰ったのを確認してオフィスを出た。天満橋の八軒家浜付近で川面に映るビルの夜景をみながら軽食をとり煙を吸う。雨上がりに川辺で夜景をみながらというのは気持ちよかっただろうな、と置き去りにされた酒缶を見て思う。
乗り継ぎに戻ろうとしたら自動ドアに数秒反応してもらえなかった。不安になるからやめてほしい。いや、つねにすでに不安はあって、それを誰もがわかるかたちにしないでほしい。車内広告の「運気グングン」な精力絶倫そうな「不安」を微塵も感じていなさそうな男の顔を見て、思った。
二つ目の乗り継ぎでまた煙を吸う。目の前の自販機、30品中26品が売り切れていた。日曜、髪を切ろう。